スキオラおよびドロミテ登攀記録
期間9月16日(金)~25日(日)
9月16日(金)から行動日8日間、イタリアとスイスの山域に行ってきました。そもそもの第一目標は、スイスとイタリアの国境線付近にあるピッツ・バディーレ『カシンルート』の登攀でした。この山を知ったのは5年以上も昔、福岡在住時に話を伺ってから。以降、いつかは行ってみたいと関東に転勤となってからも計画しましたが、まとまった休暇が取れず、長く実現することはなかったのですが、この度やっと登攀の機会に恵まれました。
16日:深夜の羽田発ドバイ経由でミラノ空港へ移動。ミラノへ17日午後2時着
空港内に所在する現地レンタカー店にて車を借り、午後5時空港発。2時間かけてスキオラの南側にある町サンマルティーノ(S.Martino)に19時に到着。日本に比べ1時間以上も日が長いが、さすがにこの時間だと薄暗い。そんな中、玄関先までオーナー配して迎えに来てくれる。異国の地で思いもしない親切を受けありがたい。荷物の整理も早々に夕食をいただく。夜中は雨の音を聞きながら、眠る。
18日:早朝の天候も小雨。天候が思わしくないので色々考もしたが、とりあえずカシンルートの通過点となるジアネッティ―(Rif.Gignetti)小屋に上がることにした。サンマルティーノからバグニマシーノ(Bagni Masino)まで車で約20分の移動。つき当りが無料の駐車場だ。かつて病院だったらしいが、今は閉鎖されている。
ここに来てもなお、いっこうに止まない雨に1時間ほど惑わされるが、やはり小屋に上がることにする。
コースタイムは3時間なので軽視していたが、標高差が1000m以上あり、小雨も気にせず薄着で登り続けたためか小屋近くでは疲れた。
標高2500mのジアネッティー小屋周辺はガスに包まれ、今日はスキオラの山群の姿も見えませんでした。小屋はシーズン終盤でもあるので、我々の他はスコットランドパーティーの3人とソロのトレッカーのみでガラガラ。ストーブで衣類を乾かし、翌日の計画を相談するが、天気予報は良くなく、標高3000m以上の現状での積雪の確認とも兼ねて、とりあえずはプンタ・アンジェラ『SPIGOLO VINCI(12P 6a)』を登ることとした。
19日:9時に出発(気温6℃程度)。目指す岩稜は小屋からも明瞭なので迷わない。登り主体のアプローチを約2時間かけ取り着き到着。昨日の雨がこの辺りでは雪だったのか、岩の割れ目に雪が残るが、問題のない範囲と判断し交互にリードで登る。ルートについては、最初2P、ジェードルを登った後は、ひたすらにリッジをトレースする。核心は、後半のピッチでⅤ級+のクラックだが長くはない。下降については、頂上付近から『CAROSELLO』を下降するつもりであったが、頂上が分からず通り過ぎ、尾根沿いの奥に控えるピッツ・チェンガロに続くルートを3Pほど登ってしまった。プンタ・アンジェラの頂上付近からは、積雪(10cm程度)があり、クライミングシューズだと滑りやすく慎重に進むが、チェンガロとのコルにラッペル支点を見つけ、下降に入り5回程度のラッペルで下降を終了した。小屋への帰り道では日も暮れ、ヘッデンを取り出そうとするが、見付からず、暗い悪路の中転んだ拍子にカメラを落とす。帰った後にザックの底にヘッデンを見つけて再びガックリとする。
20日:天気は続けて良い予報だが、昨日の登りで上部には積雪があることが確認できたため、バディーレ北壁を登るためのスイス側にはアプローチせず、再度雪の状態を確認するためバディーレ南面ノーマルルート(400m Ⅲ級)を登ることとした。
8時出発し取りつきまで約2時間、3日目ともなると、高度にも慣れアプローチが楽になる。トレースは薄いがケルンは多い。
ルートは、基本的には頂上から伸びるリッジをたどる。最初の2Pのみリッジに出るまでのジェードルを登る。グレードがⅢ~Ⅳ級なので、最初の数か所以外は同時登攀で登った。
13時登攀終了。頂上付近では、やはり10~20cm程度の積雪がある。北面の状態を確認してみたかったのだが、クライミングシューズでは身動きが取れないほどだった。傾斜が強い北面は雪が少ない可能性もあるが、雪の詰まったクラックを2人が登れるのか考えると、現状の力量では厳しいと判断し、早々に南面ルートを下降する。もう少し条件が良ければスイス側に移動し北壁をトライできたが、この状態ではカシンルートは諦めざるを得なかった。下降については、同ルート下降だが、途中東側のルートをより直線的に下降することもできるだろう。
21日:ジアネッティー小屋からサンマルティーノへ下山。カフェでこれまでの粗食分を取り戻すべくパニーニ(フランスパンに生ハム・チーズ等が挟んだサンドイッチ)を貪る。
22日:朝9時出発し、一部高速を利用しながらドロミテ(コルチナ)方面に移動。途中、名も知れないスキー場、きれいな町々に寄り道しながら、約350km(5時間)かけ、ドロミテの玄関口であるオーロンゾ小屋(Ref.Auronzo)に到着する。
オーロンゾ小屋から約40分歩きラバレド小屋(Rif.Lavared)へ移動。今日は、ドライチンネ北壁(COMICI Ⅶ18P)に近いラバレド小屋に宿泊予定であったが、小屋の水道ポンプ故障のため、今日は食事客のみで宿泊の受け付はしていない。しょうがないので、北壁の取り付きでも確認しようと、岩峰を回り込む。取りつき近くまで行くが、日暮れも近く後は明瞭で明朝も迷うまいと考え、途中の教会で明日の無事を祈り来た道を戻りオーロンゾ小屋で宿泊の受け付けをする。
以前調べた結果、オーロンゾ小屋の夕食は素晴らしいとあったのを思い出す。カウンターに並べられた多くの料理をセルフ方式で盛り付け、最後に会計をするというものだった。
私は肉団子のようなものに、ホワイトソースが罹ったものと、ハムを炒めたようなもの、あとポテトフライを手にした。値段は結構高くその3品で40Eはした。お味の方だが、肉団子と思っていたものは、チーズの塊でとても臭う。ハムを炒めたものと思っていたものは、中心部に赤い練り物を詰めた肉に見せかけたペンネだった。どちらも口に合わず、唯一美味しくいただけたのは、ポテトフライだけであった。翌朝は早出なので、ビールもそこそこに就寝。
23日:3時半起き4時出発1時間30分のアプローチ。前日の偵察もあり、迷わなかったが実際に取りつきを前にすると、約50mの距離をおいて登りはじめとなる右上するクラックが2本あるのに気付く。チマグランデの岩塔自体が数百メートルの幅を持っているので、近くに行けば行くほど、全体像が捉え辛く自分の所在地が分からない。双方を何度か行き来し、石を組んだ足場がある左側を選んだ。6時30分スタート。出だしはグレードにしては難しかったが、ドロミテだとこのくらいなのかと感じながら3P登る。ルート図どおり2P程度登り3Pは左上する。出だしで迷ったがルート図どおりだった。7時になり明るくなり始める頃、ドイツのパーティーがやって来て、『お前たちが登っているのは、COMICIルートか』と尋ねてくる。我々は、『COMICIルートだと答える。』どうやら、彼らも同ルートを登るようだ。しかし彼らは、幾分かして、我々が出だしで迷った右側クラックを登り始めた。確かに今登っているラインはルート図どおりのラインだが、幾分グレードが高いように感じる。下山さんと相談し、やはり右側ではないのかと思い、2時間はロスすることとなるがラッペルで取り付きまで戻り、隣のルートを登り返す。
出だしはⅢ級なのでコンテで急ぎ、4P目で彼らに追いつく。その後はドイツパーティーとほぼ同ペースで登ることとなった。3P目からはⅥ~Ⅶ級が混ざるピッチとなるが、核心のピッチは前半部に集中しているため、下部の10Pを正午までに通過することを目標にする。下部はルート図上でのグレードは高いが、ハーケンを主体とした支点は難易度が高い部分で多く、各ピッチの終了点も比較的整備されている状態だった。
13時に下部終了。取りつきを間違えてしまったことを考慮すれば良いペースだと思う。ちょっとした昼食を取り、再スタート。上部は傾斜が落ちてくる分、支点が少なくルートが読みずらいが基本的にはクラックに沿って登る。また高度が上がると幾分寒くも感じ凍った部分も出てくるし、浮石が目立ちはじめペースが上がらない。最後のクラックをつめていくと、体験したことのないトラバースに出会う。グレード的には5.7程度のようだが、30m気が抜けない。
最後の2Pは更に岩が脆い(明星山の2倍は脆い)。最後で落ちたくはないので慎重に登る。17時に頂上着。予定より遅れたが、日のあるうちに頂上につけたので良かった。
下降は通常、南側のノーマルルートを下降するが右のルンゼを下った。途中からガスが出てきたこともあって少々迷ってしまったが、22時前にはオーロンゾ小屋の駐車場に着く。小屋の受け付けは21時で終了なので、やむなく車で食事を取り、無事登れたことを喜び、ストックしていたワインで乾杯をする。
24日:次の日は帰りの移動途中、ワイナリーでゆっくりと食事をしたり、買い物をしたりしながら、ミラノまでの約5時間(300km)のドライブを楽しみました。
気候:9月下旬であったが、町では最高気温が20℃超え、標高2000m山間部は10℃前後であった。
イタリア北部の交通事情:交差点はほぼロータリー方式で、信号がほとんどなく、慣れてしまえば停止するようなこともなくスムースでした。そのためか一般道でも80kmくらいが巡行、高速で100km程度なので高速を利用するメリットはさほどないようにも思う。ただ左ハンドルに慣れるには少々時間がかかる。高速料金所は、カード決済ができ料金も安かった。レンタカーはミラノ空港内に数社の事務所がある。我々は現地会社のマジョーレレンタカーとした。
食事について:パスタを頼むと外れはない。朝食はパニーニ。高速内SAは質が悪く料金も高めのため、面倒でも高速を降りて、現地レストランで食事するのが良いと思います。言語:言葉については、山間部に行けば、イタリア語に次いでスペイン語、フランス語、ドイツ語を話すようで、英語は簡単なもの(数字程度)でも通じなかった。常用するイタリア語は事前に準備する必要があるかもしれない。
宿泊:山間部ではネットで予約するより、現地で頼む方が半額程度となり安かった。
この山行を振り返ると、計画、実行まで長くかかってしまったが良い目標を与えてもらいました。最大の核心は職場との休暇調整であり、運よく理解ある上司に出会えて幸運であった。また、私の岩登り主体の山行に同行してくれた相方に感謝したいと思います。
スキオラ山群について:スイス側(北側)、イタリア側(南側)を総じて物凄い数のルートが存在した。たまたまクラシックルートを登ったが、それよりもクラシカルで難易度があるロングルートは数多く長居しても登りつくせないだろう。
ドロミテについて:これまで滑りやすく脆い石灰岩エリアは敬遠してきた考えが一転した。ドロミテの抜きんでた景観の素晴らしさを目の当たりにすると、岩のもろさを差し引いても有り余る素晴らしさがある。ルートの数は限りない。
主要参考文献
スキオラ山群(スイス側) Sciora
Bdile (Bregalia climbing 2013)
スキオラ山群(イタリア側)Solo
Granito (Mario Sertori, Guido Lisignoli)
ドロミテ The
Dolomites Rock Climbs and via Ferrata (James Rushforth)
これらの本は、各国の言語で出版されています。私は一部イタリア語を選んでしまいましたが、英語を選んでください。ドロミテの本は見るだけでも楽しめます。